ドライブ旅情
以前よくしたドライブ旅行の想い出・・・いつの日かまた行ける事を願って
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


1. 最初は九州へ
 最初の長距離ドライブは35年前の九州。
 何故か地の果てまで行ってみたい、という不安と期待の入り混じった感情から。

 最初から九州へ行くつもりで出かけたのではなかった。ある連休に琵琶湖周回としゃれ込むつもりだった。しかしその時は琵琶湖周辺道路が渋滞に次ぐ渋滞になっていて遂に堪忍袋の緒が切れ、「やーめたっ」となったがそのまま東京へ帰るのは余りにも悔しく、また連休の残りの日数もあったので、ん~~それじゃあ九州へ行ってみるか、ということになった訳である。今から思えばこれがその後の九州、北海道へのドライブのきっかけとなった。

 関門橋は未だなく狭いトンネルを通った記憶がある。
 当時九州に高速道はまだなく、海沿いの国道を走って結局九州一周となった。
 このとき目指した地の果ては指宿。

 地図を見て決めただけで指宿では特に当てもなく、地の果てに行くつもりだったが結局狭い急坂を登り下りしただけの記憶がある。

 確か鹿児島市内だったと思うが電車と一緒に走らざるを得ない事になり、慣れないせいで少しどぎまぎした。

 深夜の国道を走ると後ろのトラックのライトが気になり、追われているような気分に何度も襲われたが殆ど睡眠不足の為せるわざだったような・・・

・・・

 その後、九州へも、そして北海道にも10回以上車で行くことになる。
 今後時間を見つけて思い付くままに書き込んでいきたい。

----------------------------

スポンサーサイト


2. 初めての北海道は途中で帰路に・・・
 初めての北海道はオホーツク海沿いを稚内へ向っていたところ、残り日数が不足して途中で帰路に着くこととなる。

 当時東北道はまだ青森までは通っておらず、途中から国道で青森まで。そして青函連絡船で海峡を渡り函館から長万部へ。

 その後の幾度かの訪問時には長万部駅前の狭い駐車場で車中泊をとることになる。

 ここで道を右回りするか左回りかを決めるのだが最初は左回り、つまり襟裳岬へ。ここの売店で流す襟裳岬の歌は島倉千代子の方で森伸一ではないのだ。このあとも何度行っても同じだった。好きなのは島倉千代子の歌なので、いつ行ってもラッキーと感じた。今も同じなのだろうか。

 次は根室の先の納沙布岬へ。要は地の果て的な所を目指して不安と期待の交錯した感じを味わいたい訳。
 途中、広尾までの黄金道路は正に光り輝く黄金のような景色ではあった。

 当然次は知床だったのだが残された日数が不足してしまい弟子屈、つまり摩周湖へ。霧でなかなか見れないと言われるカムイシュ島がばっちり見えたが、何とこの後4~5回続けて訪問時に見ることになる。

 網走からオホーツク海へ出て稚内を目指すつもりが、いよいよ残り日数の関係で紋別から帰路に着く。途中層雲峡でちょっとしたドジを仕出かすことに。

 長距離ドライブでは常にガソリン残量を気にしながら運転する訳だが、この時は時間も気持ちにも余裕が無かったようで、層雲峡でガス欠の心配が出てきた。次のスタンドまでの距離の確認もままならず、燃料メーターが土下座しそうになった長い下り坂、燃料節約のつもりで何ととっさにエンジンを切ったのである。下り坂だから車は動くだろうしハンドルもブレーキもOKだろう、と考えたのだがこれが甘かった。ハンドルもブレーキも極端に重くなり、とても運転出来る状態ではなくなったのである。エンジンを掛ければ良いことに気付くのにやや時間が掛かったこともあって、かなりあせってしまった。
 教訓・・・何事も勝手な判断は良くない。


 次からは北海道と九州を毎年交互に幾度か訪れることに。
 しかしあることがあってからは続けて九州へ行くことになる。

----------------------------



3. 津軽海峡
 津軽海峡をフェリーで渡るとき大概は青森から函館までだったが室蘭と苫小牧へそれぞれ一度ずつ渡ったことがある。青森で切符を買うときにその場の気まぐれで決めたのだが、いつもの函館行きと違うというだけで新鮮な感じがしたものだった。

 一度青森ではなく大間まで行ったことがある。夕方、大間のフェリー乗り場を探してうろうろしている間に船が出てしまい翌朝までのんびりと時間をつぶした。小さな居酒屋で飲食し、後はいつもの車中泊。気楽なこと、この上ない。

 海(船)上では良く外の景色を眺めたものだ。昼間なら別の船とか海に浮かぶくらげ。夜は夜で遠くの明かりが印象的。

 帰りは何故か何時もどんなに疲れていても、急いでいても函館まで来て、そして青森へ渡った。理由は良く分からないが多分少しでも車を運転する時間と距離を必要としたのだろう。

 フェリーにも新旧、大小があるがいずれにしても夫々の味わいはある。湾から外海、つまり津軽海峡に出ると、波があるときに特に小さいフェリーでは少し揺れて心配になることもあったが、湾に入ると速度が同じでも明らかに穏やかな航行になったので安心したり、また到着間近であることも知った。

 出来れば鉄道のように海峡をくぐるトンネルを作って貰いたいものだが、無理かな・・・

----------------------------



4. 続けて九州へ行った訳は・・・
 それは、雲仙普賢岳の溶岩ドーム火砕流です。

 被害に遭われた方々には申し訳ないが、噴火とか溶岩流のようなこれまでの火山の認識とは全く違ったもの、つまり徐々に溶岩ドームが形成され、それが崩れ落ちる火砕流というものに強く引かれ、そしてその活動は長期に亘ったため、二度、三度と実際の火砕流を目にすることとなった。

 私が行くようになったときには、人的被害があったような大火砕流は治まってはいたが、それでも島原側から見る火災流は驚くべきものだった。目の前が覆われるような、入道雲が急に現れて拡大するような砂塵の凄まじさと、島原湾沿いの道路際の岩石に埋もれた家屋の状況は筆舌に尽し難く、何度も見に行ったのです。

 最初は分かず、何度も行ってから分かったのだが、雲仙温泉側のロープウェイ乗り場のところからは火災流が間近に見え、岩と岩が激しくぶつかる音、火花、そしてもうもうたる砂塵と体に響く轟音は物凄かった。このような経験は今後二度と出来ないかも知れない。

----------------------------



5. 開通は水曜日・・・
 開通の日にその場に行ったのは何故か水曜日。

 私が行った関越自動車道の関越トンネルの開通日、そして常磐自動車道の開通日も水曜日だった。

 どうして覚えているのかと言えば、当然会社を休んで(サボって)行かなければならなかったからだ。

 一番乗りを目指して早く行き、開通式の前に並んでテレビに映ろうかな、などと考えたが、会社には風邪を引いて休む、と言っておきながらテレビに映っているのがバレたらまずい、と思い止まった。

 関越トンネルは、その長さ(時間が掛かる)に驚き、新鮮な感じさえした。このときはトンネルを出て直ぐの湯沢でUターンし、再びトンネル通過の感触を味わった。

 常磐自動車道の開通当時の謳い文句の一つは確か『太平洋で日の出を、日本海で夕日を』だったと思うが、日の出に間に合うように行くとテレビに映る恐れがあると判断してやはり一番乗りは思い止まった。

 高速で走れるものとばかり考えていたが甘かった。片側一車線の走行だったので先頭の車の速度に合わせるしかなく、かなり苛々したのを覚えている。所々にある片側二車線の場所で追い越しを掛けるのだが、この時だけはほんの少し苛々が解消するので次の場所が待ち遠しかった。

----------------------------



6. 帰ってきた気になるのは・・・
 九州から東京へ帰る時に、やっと帰ってきた、という気分になる地域がある。それはいつも名古屋で東名から中央道へ入る辺りであった。

 私の場合は中央道であるように、帰ってきた気になるには馴染みのところまで来れば良い、ということだろう。しかし北海道から東京へ帰ってくる時にはそのような気分にならないから不思議だ。

 何年も運転していると目的地までの途中で新しい道が出来ていることがある。時間短縮になる場合もあり、何よりも通ったことのない新しい道を走るのは嬉しいものだ。これは飽きやすいせいなのか、それともただ年を取ってきただけ、ということなのか。

 この通ったことのない道を走りたい、という傾向はアメリカに行っても出たが、アメリカでの運転についてはそのうち少し纏めて記したい。

----------------------------



7. 最長記録??!!
 ある連休では北海道を一周して東京へ戻ってきたときに何か物足りなさを感じた・・・そう、もっと走りたかったのだ。しかも連休の残り日数もまだある!!

 という訳で家にも戻らずそのまま九州へ向かった。

 確かこのころには中国自動車道、そして九州自動車道も出来ていて以前と比べるとそれ程辛く感じることはなかった。しかし、高速道がなかった時に経験した、夜間に兵庫(??)あたりの一般道(国道)を山陽新幹線と並んで走った時の、あの新幹線のパンタグラフと架線に擦れて出る青い火花とパチパチという音が近くで見聞き出来なくなると妙に懐かしさを感じたものだった。
 教訓・・・些細なことでもなくなると懐かしくなる。

 これから先、もしまた長距離ドライブに行けるようになる日が来れば夜、兵庫あたりで高速から一般道へ降りて新幹線と並走して青い光と音を味わいたいものだ。

 このころの長距離ドライブパターンを記しておくと:

 SA(サービスエリア)で休憩、睡眠、食事、給油は当たり前としても、ホテルに泊まりたい時には前もって観光地の宿とか、主な街の駅前のビジネスホテル等に電話をしておけば、大概はOKであった。
 勿論、得意(?!)の車中泊をしながら目が覚めれば走る、眠くなればSAで寝る、の繰り返しも多かった・・・あの頃は若かった・・・

 九州自動車道は途中で東西に分かれていたのでその両端に行ったこと、つまり往復したのは言うまでもない。

 かくして日本縦断達成!?となり、自慢話の一つに加えられた、というお話し。

 関門橋の門司側にめかりPAがあり、ここが私のお気に入りのポイント。九州からの帰りには必ず寄る。店が開いていれば食事をしたり土産を買い、閉まっていてもお茶等の補充と退屈な中国道に入る前の休憩に。

 四国は最初に出来た高速道の橋を一度だけ往復し、高速道を愛媛まで行っただけなので、他の二系の橋も渡ってゆっくりと散策してみたいもの。

----------------------------



8. アメリカでの運転 その1
 出張渡米10回、平均滞在期間は1ヶ月を超えるので、計1年は現地で毎日車を運転したことになる。

◎最初は1987年の秋に東海岸、ニューイングランドはマサ
 チューセッツ州のボストン郊外のボックスボロー。ここは1
 回のみ。
◎カリフォルニア州のサンノゼが7回。
◎ワシントン州のシアトルが2回。

 出張等で行ったことがある人はご存知だろうが、空港から始まって通勤、食事、買い物、そして休日のドライブ?!と、車を運転しないことには生活が出来ない。

 ハーツでレンタカーを借りるとトーラスだったが、何度行っても先ず最初に右側のドアを開けてしまい、あれっハンドルがない!・・・さすがアメリカはハンドル操作も自動になったのか? なんてことを考えたりする。習慣とは恐ろしいもので、日本に帰ってくると今度は自分の車の左側のドアを開けて、あれっ盗まれた?!をやらかしてしまう。

 マサチューセッツでは、休日にボストン美術館へ2度、ペイトリオッツのアメフトを観に1度出かけた。この時のアメフト観戦、低気圧の接近で雨に濡れ、凍えるような思いをした。

 ボストン美術館では、有名美術品が手で触れるところに展示してあること、そして何よりも日本美術品の多さにも驚いた。一日観て回ってもとても2回では足りず、ここも機会があればまた行きたい所だ。ボストンまでの直行便はなく、何処かで乗り継ぎをしなければならない。レンタカーが一ヶ月で区切りとなり、再度借りるのに別のカードを出せ、と言われたのには閉口した。帰国の経由は午後のニューヨークまでのプロペラ便となったが、窓下の紅葉の美しさには心打たれた。

 サンノゼは馴染みの地となった。特にお気に入りなのは、遊園地グレイトアメリカと近くのモントレー湾の水族館、そしてサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの向こう側の小山の上からの眺めだ。ここからは太平洋側も見れ、霧が流れて橋にかかる様子が鮮明に分かることもある。

 グレイトアメリカには人間ウォッチングに行く。とにかく人種の坩堝だ。尤も自分も外国人扱いなどされず、店屋ではチャイニーズ? オリエント? なんて言われたりもする。

 モントレー湾の水族館もとにかく飽きない。まるで里帰りしたような気分になる。

 ゴールデンゲートブリッジへ行くと半々位で霧がかかる。全く見えなくても直ぐに現れたり、逆にあっという間に見えなくなったりする。時間帯の交通量により、橋の上の左右の車線数が変わる。因みにサンフランシスコへ入る方向だけ橋の通行料を取られる。当時1ドルだった記憶があるが、今はどうか。

 ドライブといえば、サンフランシスコ湾に掛かる四つの橋全てを如何に速く渡るか、とか、全部を無料で渡るには、どのルートが良いか、などと考えながら走った。ベイエリアのサンノゼの北にはフレモントという地域があり、何度も通っているこの地が今後仕事と係わることになるかも知れない。

 一度、土日でロスのデズニーランドとユニバーサルスタジオに車で行ったことがある。現地のひとはL.A.(エル・エイ)と言う。サンノゼから300マイル(480キロ)。一度休憩すれば訳はない。圧巻はインターステイト5号の景色だ。地平線の彼方まで真っ直ぐな道を進むと、つい上空ヘリのネズミ捕りのことを忘れてしまう。この景色は北海道でも味わえない。仕事でもサンノゼ空港からロス往復を飛んだことがある。往きは朝一番機だったので、途中左前方の雲から湧き上がるような日の出の景色は絵も云われぬものだった。

 サンノゼ近辺も夏は暑く、雨は降らずに乾燥している。大概の庭には散水機があり、良くみると大きなカタツムリが群れをなしているところもあった。冬場に少し雨が降るので、いつもは薄茶色の周りの山が緑色に変わる。(続く)

----------------------------



9. アメリカでの運転 その2
 向こうの交通ルールは日本とは左右の走行が逆なこと以外は殆んど変わらないが最も便利だと思った事は交差点によっては信号が赤でも他の車に気を付けて右折(日本だと左折)が出来るのだ。そのような表示があり、だめな交差点には常に信号に従え、と表示がある。

 向こうの車は下駄代わり。日本ではまず恥ずかしくて乗らないであろう車が普通に走っている。あちこちぶつけて凹んでいたり、塗装が剥げて錆が噴いたり、バンパーとかエンジン部のフードが付いていないものなどは珍しくもない。しかしある日久し振りに、しかも急に雨が降り出したので部屋の窓から外をみると高級スポーツ新車と思しきレザートップの車へ慌ててレザーのカバーをしている人を見かけたが日本ではあまり見かけない光景。更にある日ゴールデンゲートブリッジからの帰り道(280号)で直前の車がマフラーをガチャンと落とし、そしてそのまま走り去ったのだ。さすがにこれには驚いたが車間距離を取っていたので幸い難を免れた。
 教訓1:落とす筈のないものも場合によっては落ちることがある。
 教訓2:マフラーを落としたら拾いましょう。

 あちらの運転マナーは全体的には良いのだが、一つだけ日本よりも悪いところがあるとすればそれは進路変更だ。片側2車線以上の道で前を走る車を見ていると、ウインカーも出さず、斜め後方をよく確認せずに勝手に車線変更しようとする車が多い。そうなると当然後方の車とトラブルの元になってしまう。

 サンノゼとゴールデンゲートブリッジ間は車で1時間ほど。主に丘陵を走る280号か湾沿いの101号だったが飽きてくると太平洋沿いの1号を走ったりした。または遠回りだが湾を逆方向の左回りしたり、途中の橋を渡って対岸を左折してゴールデンゲートブリッジブリッジを北からアクセスしたこともある。前にも記したが、この方向だと渡り終えたところ、つまりサンフランシスコに入ったところで通行料を取られる。

 101号を行くと米軍の飛行機が頭上すれすれに飛び、直ぐ傍の飛行場でタッチ&ゴウするのが見える。聞くと核機雷も積む飛行機だそうで「落とすなよ」と思いながら走った。

 レンタカーはオートなので左腕は何時もドアの上だ。日本に帰ってくると、どうして左腕だけ焼けているのですか、などと聞かれるので夏場に職場で暫く長袖を着ていたら却って怪しまれたりしたものだ。
 教訓:隠そうとすると余計に目立つこともある。

 シアトルでは通勤、食事以外ではあまり乗らなかったが2度スーパーソニックスのバスケットボール観戦とシーホークスのアメフト観戦に1度行った。この頃、券は無料で手に入る立場にあった。行って観て驚いたことは日本でテレビで観るのとは大違い。反則で退場者が出たりするのは珍しくないとしても、時に両チームの乱闘となって怪我人が出たりする。フリースローの時には対戦チーム側の応援段が透き通ったバスケット板の反対側で小旗のようなものを振って邪魔をしたり、応援リーダの縫いぐるみをきたものがちょこちょことゾーンに入ってきて一人の審判の目を独占しようとした。

 通勤途上には狂牛病発祥の店と言われるものがあったが、いくら物好きでもここに入ることはしなかった。 

 成田-サンノゼ間はサンフランシスコ空港を使ったり、アメリカンのMD11で直接サンノゼ空港を使ったりした。爆弾騒ぎで帰国命令が降りたときには真面目?にサンフランシスコ空港を使ったが、待合所に居たのは自分以外は日本人と思しき男性が一人だけだった。つまりジャンボに乗客2名。ところがそこへ紺のスーツの日本人女性団体さんがどっと来て機へ乗り込んだが、なんとフライトアテンダント様御一行だった。以前一度空いた機内で宜しければもう一食如何ですか、と聞かれたことがあったので今度はもう2~3食如何ですか、なんて10人位に言われたらど~しよう、などと考えたが心配は必要なかった。それにしてもジャンボで自分以外の人が何処に座っているのかな、なんて見渡すのもそう滅多にあるものではない、と思うのだが。

 帰路、成田からリムジンバスを使うこともあるが、眠い眼で外を見ると何とみんな反対車線を走っているではないか!?

----------------------------



10. 動物との遭遇
 ここからはまた日本でのお話し。

 東北道を北に進んで動物の注意マークが出てくるのは岩手辺りだったろうか。しかし高速道で何らかの動物に遭遇した記憶はあまりない。

 それは北海道の一般道(国道)が殆んどなのだ。
 昼間はキタキツネを良く見かける。印象的だったのは知床での2例。

 羅臼の山中で一匹が道路に出て座って首を掻き、車で直ぐ脇を通っても平気でいたのには驚いた。後で聞いた話しでは観光客が餌をやるようになってそれを待っていたようだ。現在は世界遺産にもなっており、可愛いからと言っても野生の動物に餌をやるのはどうか。

 羅臼東側の行き止まりの相泊に行く途中で妙に飼い犬が吠えるので何かな、と見回すと目の前に一匹現れたのだ。特に太くて長い茶色の尾が印象的。繋がれた吠える犬を尻目に悠々と歩き去った。こちらではいつもの見慣れた光景なのだろうが、東京のアパートジャングルの中に住むものにとっては一種の憧れのようなものだ。

 夜間は殆んどエゾ鹿だ。いつも群れでおり、姿が微かに見える時と全く見えない時があったが、変わらないのは眼が光ってこちらを向いているのだ。警戒しているのだろう。

 摩周湖の展望台からふと真下をみるとリスが一匹見えた。ちょこちょこと動き回り、餌でも拾ったのか口元に両手で持ち、もぐもぐするしぐさは何とも可愛らしい。

 連休中は観光客も多く、当然若いカップルもいる。あるとき摩周湖駐車場にトラックの屋台が出て烏賊やとうもろこしを焼き、横目で左右を見ながら何やら話している。聞いてみると:

 男の子が欲しければ・・・
 女の子が欲しければ‥‥‥

だった。どっちがどうであったかは忘れた。もしご存知のかたがおられたら教えて頂きたい・・・

 オホーツク沿いや襟裳岬-広尾間の黄金道路を行くと海鳥をよく見かけるが、これも旅の心を癒してくれる旅情のひとつ。

 阿寒湖に宿をとったとき近くの店頭の檻に入れられたまだ若い熊がビールを貰って飲んでいたが、明らかに私よりも飲みっぷりが良い。飲み過ぎないようにね・・・

----------------------------



11. 旅先での食べ物、飲みもの
 旅の楽しみでもある食べ物、飲み物編です。

 最初に思い浮ぶのは、日本海を左にして北陸道を進むと金沢の手前に徳光PAがある。ここのソフトスクリームは原料の牛乳が違う、とのことで確かに味にこくがあった。
 ここの展望台で暫く海を見ていた。。。 くすんだ夕日・・・潮騒‥‥‥そしてやがて漁火………

 どうしても好きなラーメンが多くなる。しかも一般道を行く北海道だ。例えば襟裳岬、納沙布岬、羅臼の相泊、宗谷岬などだ。納沙布岬と宗谷岬のカニ入りは忘れられない。

 いつも車中のホルダに入れているのは緑茶かウーロン茶でよく飲む。

 運転に夢中になり宿を取り損ねると店が開いていればワンカップ(日本酒)と缶酎ハイ、缶ビールとつまみ(サンドイッチ、裂きイカ、ピーナッツ)を買って得意の?!車中泊とくる。疲れているのと慣れているので熟睡できる。気が向けば寝袋で星空(時には流れ星も)を眺めながら、明日は何処まで ZZZ・・・

----------------------------



12. これからのドライブ旅行の夢
 このブログを書き始めた切っ掛けはいつの日にかまた長距離ドライブに行けることを願ってのものであった。

 前回まで11編に渡り、以前によくしたドライブ旅行の思い出、つまり過去のことについて記したが今回は未来の夢と希望について記すことにした。それが今後の人生の励みであり生き甲斐だから。

<ドライブ旅行の夢と希望>
1.新車で行く。

2.先ず九州、北海道をはじめ、これまでに行ったことのある場所(四国、伊豆、富士山等々)を再訪し、次に未だ行ったことがない名所・景勝等へ行く。

3.時間に捕われずゆっくりと巡る。

 これらを達成するための目標としての必要条件とその期限、そして達成手段については既に決めてあり、後は計画通りに進捗を確認しながら行動するだけ。

 ここでの必要条件の90%は金銭的なものであり残りの主なものは健康。

----------------------------



13. 各地の記憶 その1
 <北海道>

●襟裳岬
 襟裳岬については第2編『3. 津軽海峡』で少し触れたが、10回程行っており、ここでは違う内容を記すことにする。

 摩周湖程ではないがここも霧が立ち込めていることがあり、その時には灯台から警笛が「ボー、ボー」と鳴っていた。

 このような時には勿論、展望所からは「ゴジラの尻尾」の様に遠くへ徐々に小さくなっていく小島の列や、漁(?)をする小船は見えない。

●トド原
 根室半島と知床の間に、地図で見ると細くて消えて無くなりそうな野付半島にトド原がある。

 疎らな立ち木が水に沈んだ様子は見方によってはこの世のものとも思えず、忘れ得ぬ光景だ。

 初めてここトド原に行ったとき、何処かで見た事があるような気がした。そう、あの上高地の大正池を彷彿とさせるのだ。

●流氷
 もう何年前になるだろうか。5月の連休前、テレビニュースを見ていると、知床付近にはまだ流氷があり観光客が喜んでいる、とのことではないか!!

 これは行かねばならない、という訳で出かけた。途中夜間、東北道は仙台を過ぎたあたりで霙(みぞれ)となったが、流氷見たさにもう行け行けどんどん、であった。この年は異常に寒かったのである。

 根室を北上して標津を過ぎ、知床に差し掛かると右方海上に何やら見かけない青い色のものが見え、羅臼に近づくに従い、だんだんと増えて来るのだ。これが流氷であることに気付くのに自分でも呆れるほど時間がかかった。

 羅臼に着いて驚いた。漁港が全て氷に埋め尽くされ、漁船も閉じ込められているではないか。

 後から気が付くのだが、この羅臼の漁港での光景と、雲仙普賢岳の火砕流で埋もれた家屋の光景は重なり合うものがあり、その如何ともし難い自然の力を感じずにはいられない。

 この流氷、羅臼岳を超えてオホーツクに出ても小さいながら残っていて、都合の良いことに駐車場近くの砂浜にも打ち寄せられていた。不思議な事に幾ら小さくても中心部が青い物体であることには変わりはない。隣の観光客の真似をして足で押してみたがやはり氷であることにも変わりなく、水面下に多くの部分があった。

●水芭蕉
 運転に夢中で、メモも残していないので何年前かは分からない。場所は多分帯広か足寄あたりの内陸部の一般道を走っていた時のこと。休憩の為に車を路肩に止めて何気なく見ると間違いなく水芭蕉の群生だった。

 本州なら少し山奥に入らないと見られない白い凛とした花が普通の道路脇に咲いていたことは嬉しい驚きでもあり、北海道が、そしてドライブが益々好きになる訳でもあった。

----------------------------



14. 各地の記憶 その2
 <本州>
●奥入瀬
 当時まだ関越道もなく、新潟へ帰省する同僚を途中まで乗せて国道をのこのこと長岡、新潟、酒田、秋田を通って十和田湖から奥入瀬渓流を散策。

 さほど広くもないこの道路沿いの渓流は私にとってお気に入りのコース。それは先ず車でアクセス出来ること、そして渓流に沿って森林浴的な散策を出来るからだ。

 この時は北海道へは行かずに青森から野辺地を通って東京へ帰った。野辺地という地名はこれより数年前、確か土砂崩れで東北本線がかなり長期間ここを通れず、その間、駅にずっと表示があったので記憶に残っていただけ。その災害の形跡は国道からは確認出来なかった。

●富士山
 富士山を回って観光したことは数知れずだが、車で上に登ったのは多分4~5回。
 晴れているから遠くが良く見えるだろう、などと思って上がってみると霧(雲?)で何にも見えなかった、ということもあった。山の天気は変わりやすい。

 回りを走っていても急に雨となったかと思えば直ぐ晴れたりしたことも。一度須走側で、なにやら車が数台路肩に止まっているので山側を見るとこれが実に雄大で素晴らしい虹であった。これも予期せぬ嬉しいサプライズ。このタイミングばかりは計れない。

●伊豆
 ♪♪ 伊豆の山~々~ 月淡く~ ♪♪・・・あっ、歳がばれる!!

 実は私の車に積んでいるCDはこの曲ではなく『天城越え』でした。因みに青函用の『津軽海峡冬景色』もありますよ。男物は?ですか?・・・勿論、東海林太郎ですよ!!
♪♪ 泣くな~よ~し~よ~し ねんね~し~な~ ♪♪

 さて、旧友と連れ立って最も数多く行ったのが下田近くの須崎の民宿。のんびりと釣りをしたり風呂に入ったりしたが夜の宴会が最高の楽しみ。大きな声で歌ったり喋ったりすると浮世の憂さも晴れるというものだ。ここの馴染みの民宿が都合で閉じてからは数年行ってないのでまたその内に是非行ってみたい。

●安房峠から輪島へ
 今のように便利なトンネルとか高速道もない時代、一晩走り続けてようやく峠を越えた記憶がある。特にここの連続ヘアピンは日光のいろは坂と双璧を成す。マニュアル車操作の楽しみ地の一つ。

 飛騨高山と輪島ではきちんと宿を取り街中を散策したが、日本各地からの大勢の観光客の話し声も聞け、特に関西の人の話し方は興味をそそる。


 <東京近辺>
●三浦半島
 東京に住む私にとって気分転換の半日コースの一つとして良く行った。横須賀へは寄らずに真っ直ぐ城ヶ島へ行き、ここの灯台から海を眺め、風を感じ、そして晩の酒のつまみを買って帰ったものだ。

●奥多摩
 ここも半日コースの一つ。くねくねした湖沿いの道を走るのも良いが、何といっても月夜見山の石ころだらけの駐車場の展望所から下界を見渡すように見える湖の眺めは圧巻。

●横田基地 内外
 基地内と基地付近を走ってある経験をした。勿論長距離ドライブではない。

 前職の企業内英会話講師が横田基地に勤務する軍人の奥さんで、その基地内の住まいに招かれたという訳。

 正面ゲートに行くと日本人の門番がいて、事前の届出もあってスムーズに入れた。そのとき、速度違反は少しでもオーバーすればパトカーに捕まる、と聞いたので制限速度で滑走路の反対側の居住区へ行くために滑走路端まで来たら、何と信号機があって赤になった。聞いてなかったので、何かな、と思って待っていたら・・・来たのです。ジェット戦闘機!! 着陸寸前のその余りにもふら付く姿には驚いた。

 別の日、福生駅から基地方向の16号へ向かって狭い道を行ったところ、軽い交通事故があったらしく日本人警官が巻尺で路上を計っていた。それを傍の柱に寄りかかって見ていたのが何とすらっとした若い黒人婦人警官。更に驚いたのはそのむき出しの長い拳銃!! 映画のロケかと思って周りを見たがそうではなさそう。どうも基地内の人が関係するものだった様子。


 <九州>
●高崎山の猿
 ここで一つの体験をした。何時もの癖で車の中で食べ残した柿の種をポケットに入れて園内に入り、一撮み口に入れたから大変。回りに4~5匹が集まり、その内の1匹はポケット側の足にしがみ付き、更にもう1匹は足にしがみ付いた上にポケットの中に手を差し込んでくるではないか。

 そのすばしっこさに驚いたのは当然だが、そのせいもあって餌として与えなかったのが結果的に良く、知らん振りをして歩き出すとそのうち向こうも諦めた。無駄な動きがない猿の賢さ(私の愚かさ?!)を実感。

----------------------------



15. アメリカでの運転 その3
 前に『8. アメリカでの運転 その1』でも少し記したが、出張でアメリカに行った場合、毎日運転しないことには生活が出来ない。今回は主に食事に関するものを記した。

 朝食は宿泊ホテルで取れる。昼食はオフィスの食堂が多かったが、付き合いもあって週に1~2回は近くのレストランへ車で行き、そして夕食は決まって外のレストランで取った。加えて仕事で使う材料の買出し等もあり、営業でもないのにとにかく平日でも運転することが多かった。このためもあってか、やはり出張で訪れた会社の人には、お前はアメリカでの方が元気が良い、と言われたものだ。

 サンノゼにも多くの日本料理のレストラン、食堂があった。ダウンタウンに『ごんべい』という有名な豆腐を出す食堂があり、良く昼食で行った。ここの豆腐は日本で食べるのと変わりなかったが、他の料理はさすがにアメリカ風に量が多く、甘過ぎると感じた。

 サンノゼにエル・カミノ・リアルという旧道がある。聞いたところこの道はメキシコからアラスカまで通るそうだが、走って試したことはない。この通り沿いに『八町』という日本料理屋があり、ここが私のお気に入り。余りに度々行ってこの店での高級料理を注文するので、ここの日本人女将に、グルメね~と言われたことがある。店はまだやっているのだろうか。また是非行ってみたい。

 サンノゼの休日で遠出の時間がないときには、サンノゼ・インターナショナル空港に行って飛行機の離着陸の見物をした。空港内のレストランでコーヒーを飲みながら、或いは滑走路傍の道路からだったが、特に滑走路延長上の道路から見ていると横風の強いときなどには真上を行く飛行機が斜めになった上に左右にふら付くのがまざまざと見て取れて興味深く、また一種の戦慄を覚えた。

 数多くのレストランに行ったが、このメイドは間違いなく日本人だろうと思って日本語で話し掛けてみると全く通じなかったり、逆に顔から判断して日本語は全然だめだろうと思って下手な英語を使うと、私よりも流暢な日本語で話してきたり、それは驚きの連続であった。因みに当時この辺りでは案外ベトナム系が多いと聞いたことがあった。

 ある休日、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを渡って直ぐのビューポイントの露店で日本製のカップヌードルを売っていて、お湯もあったので同行の5名で買い、ここまで来てカップヌードルかよ、と笑いながら食ったことも。

 因みに『8. アメリカでの運転 その1』でも記したゴールデンゲートブリッジの絶好の眺めの小山への道順は、このビューポイントの数百メートル先を右に降り、ブリッジの通りの下を潜ると登り道がある。頂上付近にはトイレがあり、昔大砲があった穴もあってこれを通ると太平洋が見渡せる。・・・日本は・・・見える訳はないが、時にはホームシックになることもあった。

 太平洋上の霧が流れてブリッジに掛かる様子が鮮明に分かることもあるポイントだ。駐車場もあるが狭く、勝手なところに止めるとレッカーが運んで行くこともあるのでご注意あれ。えっ、運ばれたのは私の車じゃぁないのか、ですって?・・・私は別の所で2度駐車違反し、反則金を郵便局で払ったことがある。時々一緒に訪米した後輩で、しょっちゅう交通違反で捕まり、すっかり現地のお巡りさんと顔なじみになって、反則金の払い方もしっかりと教えてくれるのがいたので大分助かった。

----------------------------



16. アメリカでの運転 その4
 今回はアメリカでの運転でも、特に街なかのものについて記した。

 出張渡米は10回したが、行かせてくれ、と言った事は一度もない。社内での根回しがあった後で頼まれたが正式には当然業務命令という形だった。

 <ボストン>
 最初は1987年秋に東海岸、ニューイングランドはマサチューセッツ州ボストン郊外のボックスボロー。ここは1回のみだが40日滞在。

 滞在したボックスボローは日本での山里といった感じだが、4、5回訪れたボストンは由緒ある落ち着いた建物が多い都会だ。休日の土日だったこともあって街なかは人出も多く、車の前を横断する人も大勢いた。殆んど所謂白人だ。

 驚いたのはその横断の仕方。例え直ぐ近くに信号機のある横断歩道があっても目的地までの最短距離になるように道の何処でも渡る。渡るときには運転手(私)の顔を見て確認しながらだ。云わば暗黙の了解といったもの、つまりコミュニケーションを取りながらなのだ。車は人が前を通り過ぎるまで道の何処でも待つことが当たり前の完全な歩行者優先文化だった。

 この歩行者優先社会で仕事でも言葉でも受けなかった所謂カルチャーショックというものをもろに受けたのだ。

 日本なら横断歩道を渡りましょう、などと言ったり表示したり、横断歩道の手前には目印のマークを付けたりするが、歩行者優先の意識が浸透していれば、それらがあること自体少し奇妙なものになる訳で、日本に帰ってくると正直、なんと島国なのだろう、と思わずには居られなかった。

 <サンフランシスコ>
 その後続けて7回はサンノゼへ滞在。
 近くのゴールデンゲートブリッジへの往復時を含めて観光でサンフランシスコの街なかを訪れた回数は数え切れない。日本国内では常にマニュアル車に乗るので坂道発進は主にハンドブレーキが頼りだが、いくらオートマ車といってもサンフランシスコの街なかの特に交差が連続する登りの急坂ではしんどいものがある。発進時に直ぐバックしてしまい、後ろの車が気になるのだ。
 これの対策として現地に以前から居住する先輩に聞いたのだが、オートマで左足でブレーキを踏んで止まっておき、右足でアクセルを踏みながら左足を徐々に上げてハンドブレーキのように使って発進する方法だ。

 このやり方は直ぐに覚えて役立った。それ程サンフランシスコの街なかの連続急坂は凄いのだ。

----------------------------

17~18編は下の 次のページ≫ をクリックしてご覧下さい。




Copyright © ドライブ旅情. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。